ひこうき雲 / 荒井由美 (松任谷由美)

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曲の紹介

【曲 名】ひこうき雲
【アーティスト】荒井由美(現:松任谷由美)
【作詞・作曲】荒井由実(現:松任谷由美)
【レーベル】EMIミュージック・ジャパン
【概 要】
1973年11月5日リリースされた2枚目のシングル「きっと言える」のB面曲で、11月20日リリースされたファースト・アルバム「ひこうき雲」の表題曲として収録された。
2013年公開の宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」の主題歌に使用され、配信シングルとしてリリースされ、同年のレコチョクシングルデイリーランキングとiTunesのトップソングで1位を記録した。

歌詞の内容
この曲は、荒井由実(現:松任谷由美)が、小学生時代に、筋ジストロフィーで亡くなった同級生の少年をモチーフにしました。

小学校を卒業した4年後に亡くなった彼の葬儀で、高校生になった彼の遺影をみて、自分の知っていた小学生の姿とのギャップにインパクトを受けてつくったとのことです。

歌詞を読むと、「空に憧れて、空をかけていく、あの子の命はひこうき雲」とあるように、
「だれもが、病気をかかえ若くして死んだ彼をかわいそうと思うが、彼のほんとうの気持ちや、生きてきた軌跡は、まるで天に上るひこうき雲のように自由に飛んでいたのでは?」と投げかけているように思えます。
それは、彼への鎮魂歌(レクイエム)ではなくて、彼の旅立ちへのメッセージに私には聞こえます。
とても深く、心を慰めてくれるような名曲だと思います。

動画は以下をアップしています。
・配信シングル「ひこうき雲(Vapor Trail)バージョン
・1996年8月13/14/15日中野サンプラザライブ・アルバム「Yumi Arai The Concert with old Friends」バージョン

【記事引用元】ひこうき雲 (荒井由実の曲)- Wikipedia
【記事引用元】松任谷由実 – Wikipedia

松任谷由実 - ひこうき雲 (Yumi Arai The Concert with old Friends)

アーティストの紹介

【アーティスト】松任谷由美(旧:荒井由実)
【誕生日】1954年1月19日
【出身地】東京都八王子市
【活動時期】1974年-2023年
【公式サイト】松任谷由実オフィシャルサイト

概要
松任谷由実(まつとうや ゆみ)本名:荒井由実(あらい ゆみ)は、1970年代から日本の音楽シーンで活躍し続けている女性シンガーソングライターで、彼女の音楽は、青春の喜びや切なさ、恋愛の喜びや苦悩を描き、リスナーに深い共感を与えている。

彼女は、6歳でピアノを始め幼少期から音楽と親しむ環境に育った。
この音楽経験が、彼女の後のキャリアに大きな影響を与えた。

高校時代はパイプオルガンやプロコル・ハルムといった音楽に強い影響を受け、また、アルチュール・ランボーやジャック・プレヴェールといった詩人たちの作品に深い感銘を受けて、芸術的な感性が磨かれていった。

1971年、高校3年生の時に作ったデモテープが音楽業界で注目を浴び、17歳で作曲家としてのキャリアをスタートさせた。

その後、1972年にシングル「返事はいらない」で荒井由実としてデビューしたが、初期の作品はあまり注目されなかった。

1973年に発売されたファーストアルバム「ひこうき雲」が徐々に評価され、彼女の名前が知られるようになった。
アルバム表題曲の「ひこうき雲」と、翌年シングルリリースされた「やさしさに包まれたなら」はヒットし、彼女の代表曲となった。
彼女の楽曲は独自の世界観を持ち、当時のフォークやロックとは一線を画していた。

1975年フォークグループ「バンバン」に提供した「いちご白書をもう一度」が大ヒットし、続いて自身のシングル「あの日にかえりたい」もオリコンチャート1位を獲得した。
これにより、荒井由実は一躍時代を代表するシンガーソングライターとしての地位を確立した。

1976年松任谷正隆と結婚し、アーティスト名も松任谷由実へと改名し、音楽活動を続けた。
改名後は一時的な低迷期を迎えたが、1981年にリリースしたシングル「守ってあげたい」が再び大ヒットし、第二次ブームが到来した。

その後、アルバムは連続してオリコン1位を獲得するなど、彼女の人気は再び急上昇した。

1988年にリリースされたアルバム「Delight Slight Light KISS」は158万枚を売り上げ、彼女初の年間アルバムランキング1位を獲得した。

その後の「LOVE WARS」(1989年)や「天国のドア」(1990年)も連続して年間1位を獲得し、彼女の音楽はバブル時代といわれる日本を代表するものとなった。

この時期には「恋人がサンタクロース」「真珠のピアス」「時をかける少女」などのヒット曲が生まれ、またリゾート地でのコンサートという新しいスタイルも確立した。

彼女のコンサートは常に革新的で、象や噴水、巨大な竜などを登場させる大規模な演出が話題となった。

1990年代に入っても、彼女の音楽は人気を保ち続けた。
1993年には「真夏の夜の夢」が自身初のミリオンセラーとなり、
1994年には「Hello, my friend」「春よ、来い」が続けてミリオンセラーを記録した。
1998年にリリースされたベストアルバム『Neue Musik』は380万枚を売り上げ、彼女のキャリア最大のヒット作となった。
1999年にはロシアのサーカスチームとコラボレートしたコンサート『シャングリラ』を開催し、この壮大なプロジェクトは2007年まで続いた。

2000年代においても、彼女は日本の音楽シーンにおいて数々の革命をもたらし、多くの人々に影響を与え続けており、彼女の音楽は時代を超え、多くのリスナーに愛されている。

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