風雪ながれ旅 / 北島三郎

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曲の紹介

【曲 名】風雪ながれ旅
【アーティスト】北島三郎
【作詞】星野哲郎【作曲】船村徹【編曲】丸山雅仁
【レーベル】日本クラウン
【概 要】1980年9月15日北島三郎の37枚目のシングルとしてリリースされた。
当初、歌手は村田英雄にオファーされたが、彼は浪曲出身であり、浪曲で使われる三味線と異なる津軽三味線が題材の曲に難色を示した。
そのため、北島三郎がシングルをリリースする運びとなり、大ヒットとなった。

歌詞の内容

この曲は、昭和歌謡を代表する作詞家の星野哲郎先生と作曲家の船村徹先生の手によって作られました。
星野哲郎は、津軽三味線の第一人者の高橋竹山をモデルに、この曲を作詞しました。

歌詞は、まさしく高橋竹山が歩んだ壮絶な苦労や苦難を、北海道の自然のきびしさや地名を通して見事に描写しています。

破れ単衣(ひとえ)に 三味線だけば
 よされ よされと 雪が降る
 泣きの十六 短い指に
 息を吹きかけ 超えてきた

破れた薄い着物で、三味線を抱えた主人公は、「よしなさい」と言うかのように激しく降る雪の中を、歩るいていきます。
普通なら泣き虫で幼い16才の彼は、短い指に息を吹きかけて寒さに耐えながら、山道を超えてきました。

ほんとうに、おさない16歳の少年が三味線一つを抱えて苦難の道を歩んで行った光景が、見事に浮かぶすばらしい歌詞だと思います。
また、船村徹のメロディは、これしかないと思えるくらいこの詞に合っていて、聴く人に涙と感動を与えてくれる名曲だと思います。

以下の動画をアップしています。
・1980年北島三郎シングル「風雪ながれ旅」バージョン
以下の動画をリンクしています。
風雪流れ旅 歌船村徹 (yuusukebe917さんの動画)

【記事引用元】風雪ながれ旅-Wikipedia
【記事引用元】北島三郎-Wikipedia

アーティストの紹介

【アーティスト】北島三郎
【本名】大野 穣 (おおの みのる)
【誕生日】1936年10月4日
【出身地】北海道上磯部知内村(現:知内町)
【公式サイト】北島音楽事務所

概要

北島三郎は北海道出身の演歌歌手で、5男2女の7人兄弟姉妹の長男として生まれた。
高校時代にNHKの「のど自慢」に出場し、歌手を目指すようになる。

1954年に高校を中退し、東京へ上京。流しの仕事をしながら歌手デビューを目指していた彼は、作曲家の船村徹と出会い、弟子入りした。

1962年「なみだ船」がヒットし、メジャーデビューを果たす。
その後、1965年の「兄弟仁義」「帰ろかな」「函館の女」とヒットを重ね、歌手としての人気を獲得し、映画でも活躍するようになる。

1978年には「与作」が大ヒットし、幅広いファンを獲得した。

作詞・作曲にも挑戦し、原譲二というペンネームで多くの曲を手掛けた。

2014年に明治座で座長公演4500回を達成するなど、演歌界の大御所として長い間活躍し、
また彼の「北島音楽事務所」において、後輩歌手の育成に努めた。

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