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恋のフーガ / ザ・ピーナッツ

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曲の紹介「恋のフーガ」

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インフォメーション

  • 曲名:恋のフーガ
  • アーティスト:ザ・ピーナッツ
  • 作詞:なかにし礼
  • 作曲:すぎやまこういち
  • 編曲:宮川泰
  • レーベル:キングレコード
  • リリース:1967年8月10日 1967年8月10日にシングル「恋のフーガ」B面「離れないで」
  • サマリー:「恋のフーガ」は、「恋のオフェリア」「恋のロンド」などと同じ「恋」シリーズの一つとして発表され、日本の昭和歌謡を代表する名曲の一つとされています。
  • 記事引用元:
    • 恋のバカンス(曲)-Wikipedia
    • ザ・ピーナッツ-Wikipedia
    • フーガ-Wkipedia
    • ザ・ピーナッツ-Wikipedia

曲と歌詞について

「恋のフーガ」は、ザ・ピーナッツの代表的なヒット曲の一つであり、二重唱の美しいハーモニーと、勢いのあるメロディが特徴です。

“fuga”とは、もともと逃走という意味で、音楽でいう「フーガ」は、各声部が同じ主題をもとに順番に「追走」する模倣の技法を特徴とします。(フーガ-Wikipediaより)
この曲では二人のボーカルが交互に、また重なりながら歌い上げることで独特の躍動感を生み出しています。

ザ・ピーナッツの持ち味である美しいコーラスワークと、力強くテンポの速いリズムがとても特徴的で、さびの部分では二人の歌が追従して迫ってくるような迫力があります。
また、当時の日本のポップスでは珍しい編曲が取り入れられており、洋楽の影響も感じさせる楽曲となっています。たしかに、

歌詞の内容は、はじめから結ばれない許されない恋を、あきらめきれないで追いかけていきたい想いを語っています。
あなたへの想いの強さをあらわすように、「追いかけて、追いかけて」と迫力のあるフレーズからはじまります。
しかし、その想いを胸に抱いて、雨のガラス窓に(さよならの)くちずけをする、とても哀しいシーンで終わります。

「恋のフーガ」は、小柳ゆきをはじめ、今もなお多くのアーティストにカバーされている、日本のポップス界の名曲です。

追いかけて 追いかけて
すがりつきたいの
あの人が消えてゆく 雨の曲り角

幸せも 想い出も
水に流したの
小窓打つ雨の音 ほほぬらす涙

はじめから 結ばれない
約束の あなたと私

つかのまのたわむれと
みんなあきらめて
泣きながらはずしたの
真珠の指輪を

恋のフーガ / ザ・ピーナッツより

曲の動画

以下の動画をアップ、リンクしています。

  • アップ動画
    • 恋のフーガ · The Peanuts シングル(1967-08-10リリース)バージョン
    • モニュメント/ザ・ピーナッツ・ラストライブ! アルバム(2020-12-09)バージョン
  • リンク動画
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アーティストの紹介「ザ・ピーナッツ」

インフォメーション

  • アーティスト:ザ・ピーナッツ
    • 伊藤エミ(本名:澤田日出代(旧姓:伊藤)
    • 伊藤ユミ(本名:伊藤月子)
      ※双子姉妹
  • 誕生日:
    • 伊藤エミ:1941年4月1日(2012年6月15日没)
    • 伊藤ユミ:1941年4月1日(2016年5月18日没)
  • 出身地:愛知県知多郡常滑町(現:常滑市)
  • 活動時期:1959年2月11日-1975年4月5日
  • 公式サイト:KING RECORDS OFFICIAL SITE

アーティストの軌跡

ザ・ピーナッツは、1959年にデビューした双子の姉妹デュオで、日本の昭和歌謡を代表する存在として知られています。
特に二人の完璧にシンクロしたハーモニーは多くのファンを魅了し、日本のポップス界に大きな影響を与えました
また、国内外の楽曲を幅広く歌いこなす実力派デュオとしても評価されており、海外公演も成功させています。1975年に惜しまれながら引退しましたが、その功績は今なお語り継がれています。

ザ・ピーナッツは、1959年にデビューしてから1975年の引退まで、日本の音楽シーンで輝かしい軌跡を残しました。その活動を振り返ると、日本のポップス界における先駆者としての役割が見えてきます。

デビューとブレイク(1959年~1960年代)
ザ・ピーナッツは、名古屋で「伊藤シスターズ」として歌っていたところを、1958年に渡辺プロダクションの社長にスカウトされ、上京し宮川泰のレッスンを受けました。

1959年2月11日「第2回 日劇コーラスパレード」に出演し歌手デビューし、同年4月リリースの「可愛い花」でレコードデビューしました。
もともと海外の楽曲をカバーすることが多かった彼女たちは、その美しいハーモニーと洗練されたパフォーマンスで注目を集めます。

その後は、「ふりむかないで」「恋のバカンス」「恋のフーガ」「情熱の花」など多くのヒット曲を生み、シングル・アルバムを含めて約1000万枚以上を売り上げました。
1959年6月17日-1970年3月31日まで音楽テレビ番組「ザ・ヒットパレード」のレギュラーとなり、
1961年6月4日-1972年10月1日までバラエティテレビ番組「シャボン玉ホリデー」のメイン司会を務めました。
そして、1959年より16年間「NHK紅白歌合戦」に連続出場しています。

国際的な活躍(1960年代後半)
1960年代後半になると、ザ・ピーナッツは日本国内だけでなく、海外でも注目されるようになります。
ドイツやフランスなどのヨーロッパ公演を成功させ、国際的な評価を獲得しました。
また、海外公演や海外の「エド・サリヴァン・ショー」など海外の番組にも出演し、日本の音楽を世界に広める役割も果たしました。

さらに、映画「モスラ」に小美人(妖精)役として出演し、「モスラの歌」を歌い、幅広い層からの支持を得て、映像作品や舞台でも活躍しました。

引退とその後(1975年~)
ザ・ピーナッツは、1975年2月18日に渡辺プロダクションにての記者会見で、惜しまれながら引退を発表しました。双子ならではの美しいハーモニーと洗練されたパフォーマンスは、多くの後輩アーティストに影響を与え、日本の音楽史に名を刻みました。

また、その楽曲は現在でも多くのアーティストによってカバーされ続けています。
彼女たちの音楽は、時代を超えて多くの人々に愛され、日本の音楽シーンに残した功績は、永遠に記憶されることでしょう。

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アムステルダムにて(1966年10月)Photo by Fotocollectie Anefo

アルバムの紹介

  • 1959 可愛いピーナッツ
  • 1960 ピーナッツ民謡お国めぐり
  • 1960 ピーナッツの”ザ・ヒット・パレード ”
  • 1961 夢であなたに: ピーナッツのポピュラー・ムード
  • 1962ピーナッツのザ・ヒット・パレード第2集
  • 1962ピーナッツのザ・ヒット・パレード第3集
  • 1963 祇園小唄: ピーナッツのムード民謡
  • 1963 バカンスだよ: ピーナッツのザ・ヒット・パレード=Vol.4
  • 1963ピーナッツの ポピュラー・スタンダード
  • 1964 ピーナッツのザ・ヒット・パレード第4集
  • 1964 ウナ・セラ・ディ東京/ピーナッツのザ・ヒット・パレード Vol.5
  • 1965 アモーレ・スクーザミ/ピーナッツのヒット・パレード Vol.6
  • 1966 AROUND THE EUROPE/ザ・ピーナッツのヒット・パレード Vol.6
  • 1967 ザ・ピーナッツ・デラックス
  • 1968.12 ピーナッツ・ゴールデン・デラックス <ベスト・オブ・ピーナッツ>
  • 1970 フィーリン・グッド ピーナッツの新しい世界
  • 1972 世界の女たち ザ・ピーナッツ
  • 1971 華麗なるフランシス・レイ・サウンド ザ・ピーナッツ最新映画主題歌を歌う
  • 1972 ザ・ピーナッツ・オン・ステージ
  • 1973 情熱の砂漠: ジャスト・ナウ
  • 1980 モニュメント: ザ・ピーナッツ・ラスト・ライヴ

2000/11/5 ザ・ピーナッツ ゴールデン☆ベスト

2010/4/30 THE PEANUTS “THE BEST 50-50”

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キングレコード

2016/9/7 ザ・ピーナッツ オリジナル・ソングス

2016/9/7 ザ・ピーナッツ トリビュート・ソングス

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