曲の紹介(喝采)
【曲 名】喝采(かっさい)
【アーティスト】ちあきなおみ
【作詞】吉田 旺
【作曲】中村泰士
【編曲】高田 弘
【レーベル】日本コロムビア
【概 要】
1972年9月10日にリリースされた13枚目のシングルで、同年の第14回日本レコード大賞を受賞した。
【記事引用元】喝采 (ちあきなおみの曲) – Wikipedia
【記事引用元】ちあきなおみ – Wikipedia
曲について
「喝采」は、1972年9月10日にリリースされたちあきなおみの13枚目のシングル曲であり、彼女のキャリアの中で特に重要な楽曲です。この曲は、リリースからわずか3ヶ月で第14回日本レコード大賞を受賞し、史上最短記録を樹立しました。
歌詞の内容は、主人公の女性歌手が大切な人の訃報を受け取り、心に傷を負いながらも舞台で恋の歌を歌い続けるというストーリーです。この曲は、ちあきなおみ自身の過去の経験と重なる部分があり、彼女は「私、この歌は唄いたくない」と語ったこともあるほど、感情的な内容となっています。
また、「喝采」はちあきなおみの「私小説歌謡」としてプロモーションされ、彼女の実体験を反映したものとして聴衆の興味を引きましたが、実際には作詞家の吉田旺が彼女の過去を知らずに書いた歌詞であることが後に明らかになりました。これにより、歌詞の内容がちあきの実体験と偶然似ていたため、プロモーションに活かされたという経緯があります。
この曲は、ちあきなおみの歌唱力と感情表現が見事に融合した作品であり、今なお多くの人々に感動を与え続けています。彼女の歌声は、聴く人に深い感情を呼び起こし、時代を超えて愛される名曲となっています。この曲の歌詞は、主人公の歌手の女性が、ステージで歌っている時に届いた電報からはじまります。
いつものように 幕が開き
恋の歌 うたう私に
届いた報せは 黒いふちどりがありました
あれは三年前 止めるあなた駅に残し
動き始めた汽車に ひとり飛び乗った
ひなびた町の 昼下がり
教会の前にたたずみ
喪服の私は 祈る言葉さえ失くしてた
喝采/ ちあきなおみより
この曲は、なんとも切なく哀しいストーリーを描写していて、彼女の切なく迫ってくる歌声により聴く人に涙をさそいます。
彼女は、愛していた旦那さんの死によって、歌手活動を引退しました。
この歌は、まさに彼女の人生そのものを描き出している名曲だと思います。
曲の動画
- 1971年シングル「喝采」バージョン
- ちあきなおみ「喝采」1972年(残映さんの動画)
アーティストの紹介(ちあきなおみ)
【アーティスト】ちあきなおみ
【本名】瀬川 三恵子
【誕生日】1947年9月17日
【出身地】東京都
【公式サイト】
日本コロンビア
TEICHIKU RECORDS
アーティストの軌跡
ちあきなおみは、日本の元歌手、元女優で、その独特な歌声と表現力で、幅広いジャンルの楽曲を歌いこなした。
特に1972年のシングル「喝采」が大ヒットし、第14回日本レコード大賞を受賞した。
彼女の代表曲の「喝采」「劇場」「夜間飛行」などの楽曲は、歌詞の内容やストーリーから「ドラマチック歌謡」と呼ばれた。
ちあきは幼少期から音楽に親しみ、4歳の頃には米軍キャンプでジャズを歌うなど、早くから芸能活動を始めた。
1969年に「雨に濡れた慕情」でデビューし、その後も数々のヒット曲を世に送り出した。
1970年代にはお色気アイドル路線で人気を集め、バラエティ番組にも出演し、ユーモアとパフォーマンスでも人々を魅了した。
1978年に俳優の郷鍈治と結婚後、徐々に表舞台から距離を置いた。
夫との生活を大切にし、歌手活動をセーブしながらも、「ルージュ」や「夜へ急ぐ人」など深みのある楽曲を発表し続けた。
1980年代に再び歌手活動を本格化させたが、1992年に夫が亡くなったことで、彼女は完全に芸能活動を休止した。
以来、公の場に姿を現すことはほとんどなく、事実上の引退状態となっている。
ちあきなおみの歌声は現在も愛され続け、CDや映像のリリースが継続されている。
彼女の再評価が進む中、歌手復帰を望む声も根強いながら、本人はこれに応じていないとされている。
その独自の表現力と存在感は、今も多くの人々の心に刻まれている。
アルバムの紹介
2002年10月23日 ちあきなおみ大全集
2003年4月23日 朝日のあたる家
2019年4月17日 微吟
2022年10月19日 残映
2024年3月20日 銀嶺