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手紙|由紀さおり

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曲の紹介|手紙

スマイル-由紀さおり|amazon

インフォメーション

  • 曲名:手紙
  • アーティスト:由紀さおり
  • 作詞:なかにし礼
  • 作曲:川口真
  • レーベル:EXPRESS(東芝音楽工業)
  • リリース:1970年7月5日
  • サマリー
    • 「手紙」は、由紀さおりの5枚目のシングルとしてリリースされた。
    • デビュー作「夜明けのスキャット」以来のヒットとなり、由紀さおりの代表曲として長く愛され続けている。
  • 引用:手紙 (由紀さおりの曲)-Wikipediaより

曲について

「手紙」は、なかにし礼の印象的な歌詞と由紀さおりの透明感のある歌声が相まって、リスナーに強いインパクトを与えました。

「死んでもあなたと暮らして」という衝撃的な歌い出しで始まるこの曲は、悲しい別れの内容を美しく穏やかな表情で歌い上げる対比が印象的です。

シングル盤の編曲は川口真が担当し、楽曲の魅力を引き立てています。

オリコンチャートでは週間1位(6週連続)を獲得し、1970年度年間6位を記録する大ヒットとなりました。

1970年暮れの第12回日本レコード大賞では歌唱賞を受賞し、大晦日の第21回NHK紅白歌合戦でも披露され、前年の第20回に続いて2年連続出場を果たしました。これにより由紀さおりは1970年代の紅白常連歌手となりました。

由紀さおり自身、後年「風変わりな『夜明けのスキャット』のヒットで自分はキワモノ的な存在だったので、この曲がヒットしてホッとした」「一発屋でなくなってホッとした」とコメントしており、アーティストとして確固たる地位を築く重要な楽曲となりました。

シングルレコードの売上枚数は約70万枚に達しています。

この曲は、時代を超えて多くの歌手にカバーされ、ベスト・アルバムやコンピレーション・アルバムにも頻繁に収録されるなど、日本の歌謡曲を代表する名曲として多くの人に愛され続けています。

死んでもあなたと 暮らしていたいと
今日までつとめた この私だけど

二人で育てた 小鳥をにがし
二人で書いた この絵燃やしましょう

何が悪いのか 今もわからない
だれのせいなのか 今もわからない
涙で綴りかけた お別れの手紙

引用元:「手紙」由紀さおり

曲の動画

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アーティストの紹介|由紀さおり

インフォメーション

  • アーティスト名:由紀さおり(Yuki Saori) 本名:安田章子(やすだ あきこ)
  • 生年月日:1946年11月13日
  • 出身地:日本・群馬県桐生市
  • ジャンル:歌謡曲、ポップス、童謡、ジャズ
  • 活動期間:1965年-
  • 引用:由紀さおり-Wikipediaより

アーティストの軌跡

由紀さおりは、日本を代表する歌手、タレント、女優です。

1946年11月13日、群馬県桐生市に生まれ、3歳で横浜市へ移りました。少女時代から姉の安田祥子と共に「安田章子」名義で童謡歌手として活躍し、小学生から高校生までひばり児童合唱団に所属していました。

1965年にキングレコードから本名名義で「ヒッチハイク娘」にて歌謡曲の歌手としてデビューするも、ヒットに恵まれず停滞の時代に入ります。

童謡歌手時代からのCM曲やテレビ・ラジオ主題歌の吹き込み、キャバレー・ナイトクラブへの出演を行いながら雌伏の時を過ごしました。

1969年、東芝音楽工業より「夜明けのスキャット」で「由紀さおり」として再デビュー。この曲は最終的に150万枚のミリオンセラーとなり、この年の暮れには第20回NHK紅白歌合戦で念願だった初出場を果たしました(以降1978年まで10年連続出場)。

翌1970年には、「手紙」が6週連続1位、1970年度年間6位となる大ヒットとなり、第12回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞。

生きがい」「故郷」「ルーム・ライト」「挽歌」「恋文」「トーキョー・バビロン」などのヒット曲を連発し、その確かな歌声は「酔い覚ましの清涼剤」との評価を受けました。

1973年末には「恋文」で第15回日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞しました。

歌手としての人気の一方、タレント性を見込まれバラエティー番組に多数出演。

特に『8時だョ!全員集合』で共演したいかりや長介からの薫陶を受けコメディエンヌとしての才能も開花し、『ドリフ大爆笑』においてはゲストとして最多の出演数となり、準レギュラーに近い立場となりました。

1983年には松田優作主演の『家族ゲーム』でお惚けな母親役を演じ、第7回日本アカデミー賞で優秀助演女優賞を受賞。女優としても高い評価を得ました。

1986年より姉・安田祥子と共に童謡コンサートをスタートさせ、徐々に歌手活動に再び重点を置くようになります。同年の暮れには第28回日本レコード大賞企画賞を受賞し、童謡ブームの火つけ役となりました。

1987年には第38回NHK紅白歌合戦に9年ぶりに復帰し、以降2001年まで紅白の常連として出演しました。なお、1992年・第43回では紅組トリを務めています。

2011年には、アメリカのジャズオーケストラ「ピンク・マルティーニ」とのコラボレーションアルバム『1969』が世界50ヵ国以上でCD発売・デジタル配信され、iTunesジャズ・チャート及びカナダiTunesチャート・ワールドミュージックで1位を獲得するという快挙を達成。国際的な知名度を確立しました。

2012年には紫綬褒章を受章し、第63回NHK紅白歌合戦に20年ぶりに返り咲きました。2019年には旭日小綬章を受章。2024年には第45回松尾芸能賞特別賞を受賞しています。

由紀さおりは日本の音楽史に大きな足跡を残し、世代を超えて多くのファンに愛され続ける存在です。その音楽は、時代を超えて人々の心に響き続けることでしょう。

ディスコグラフィー

代表シングル

  • 夜明けのスキャット(1969年)- デビュー曲、150万枚のミリオンセラー
  • 手紙(1970年)- オリコン週間1位(6週連続)、1970年度年間6位
  • 生きがい(1970年)
  • 初恋の丘(1971年)
  • 故郷(1972年)
  • ルーム・ライト(1973年)
  • 恋文(1973年)- 第15回日本レコード大賞最優秀歌唱賞
  • 挽歌(1974年)
  • トーキョー・バビロン(1978年)など多数
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