曲の紹介(舟歌)
【曲 名】舟歌
【アーティスト】八代亜紀
【作詞】阿久悠
【作曲】浜圭介
【レーベル】テイチク
【概 要】
1979年5月25日リリースされた八代亜紀のシングルで同日リリースの2枚組アルバムの名称。
同年の第21回日本レコード大賞金賞、第10回日本歌謡大賞放送音楽賞などを受賞したが、発売当初は低調だった。しかし、同年のNHK紅白歌合戦で八代亜紀が大トリでこの曲を歌唱してから、徐々に人気を集め、大ヒットに結び付いていった。
【記事引用元】舟歌-Wikipedia
【記事引用元】八代亜紀-Wikipedia
曲について
八代亜紀の「舟唄」は、彼女の代表作の一つとして広く知られています。歌詞の内容は、酒を飲みながら昔の恋人を思い出して哀しむ男性の主人公が描かれており、日本の居酒屋文化や人々の感情に深く根ざしています。
「舟唄」は、「お酒はぬるめの燗がいい」というフレーズからはじまります。(日本の飲酒文化では「日本酒、酒(さけ」を「燗」という程よく温めて飲む習慣があり、身体にもいいようです。)
「肴はあぶったイカでいい」は、「するめ」というイカの干物をあぶった(軽く焼いた)ものを、お酒のつまみにしていて、男性が居酒屋で心地よく飲んでいる情景が浮かびます。歌詞全体にわたって昔の日本の「質素さ」や「懐かしさ」が強調されており、聴く人に親しみや懐かしさを感じさせます。
「しみじみ飲めばしみじみと 想い出だけが行き過ぎる」というフレーズでは、飲酒を通じて過去の思い出が蘇る様子が描写されています。主人公がゆっくりと飲みながら、哀しい過去を思い出して孤独感や懐かしさを感じている情景が浮かびます。
「涙がポロリとこぼれたら 歌い出すのさ 舟歌を」では、哀しい思い出で涙がこぼれたら、「舟歌」を歌い出すとありますので、おそらく主人公は漁師だと考えられます。そして、「沖のカモメに深酒させてよ いとしのあの娘(こ)とヨ 朝寝する ダンチョネ」という舟歌を歌います。これは日本の民謡にルーツをもつ「ダンチョネ節」をモチーフにしていると言われています。
このように、「舟唄」は昔からの日本の懐かしさを感じさせながら、人生の思い出、孤独感といった深いテーマを扱った名曲だと思います。
お酒はぬるの 燗(かん)が言い
肴(さかな)はあぶった イカでいい
女は無口な ひとがいい
灯りはぼんやり 灯(とも)りゃいい
しみじみ飲めば しみじみと
思い出だけが 行き過ぎる
涙がポロリと こぼれたら
歌い出すのさ 舟歌を沖のカモメに深酒させてよ
いとしのあの娘(こ)とヨ 朝寝する ダンチョネ(引用元:八代亜紀「舟歌」)
- 八代亜紀『舟歌』(1979年シングル・バージョン:TEICHIKU RECORDS)
- 八代亜紀 / 舟唄(日本コロムビア 公式YouTubeチャンネル)
アーティストの紹介(八代亜紀)
【アーティスト】八代亜紀(本名:橋本 明代)
【誕生日】1950年8月29日(2023年12月30日73歳没)
【出身地】熊本県八代郡金剛村(現在の八代市)
【活動時期】1971年-2023年
【公式サイト】八代亜紀オフィシャルホームページ
【公式サイト】八代亜紀 – UNIVERSAL MUSIC JAPAN
アーティストの軌跡
八代亜紀は、日本の演歌歌手、女優、タレント、画家であり、熊本県八代市出身です。彼女は幼少期から父親の歌う浪曲を聴きながら育ち、その影響で歌に興味を持ちました。小学5年生の時にジュリー・ロンドンのレコードを聴き、そのハスキーボイスに魅了され、自身もクラブ歌手になることを目指すようになりました。
15歳で上京し、バスガイドとして働くも人前で話すことが苦手で3ヶ月で退職。その後、地元のキャバレーで歌手として雇われますが、父親に勘当されて東京へ移ります。上京後は音楽学院に通いながら喫茶店で学費を稼ぎ、銀座のクラブで歌うようになります。1971年にはテイチクから「愛は死んでも」でデビューし、その後オーディション番組『全日本歌謡選手権』でグランドチャンピオンとなり、一気に知名度が上がります。
1973年には「なみだ恋」が120万枚を売り上げる大ヒットとなり、その後も「舟唄」や「雨の慕情」など多くのヒット曲を生み出しました。「雨の慕情」は1980年に日本レコード大賞を受賞し、彼女は“演歌の女王”と称されるようになります。1982年にはセンチュリーレコードへ移籍し、その後も多くのヒット曲を発表し続けました。
晩年にはジャズやブルースにも挑戦し、多様な音楽スタイルを展開しました。2012年にはジャズアルバム『夜のアルバム』をリリースし、世界デビューを果たします。また、フランス・パリでの公演も成功させ、多くのファンから支持されました。
八代亜紀は音楽活動だけでなく、ボランティア活動にも積極的に参加しており、女子刑務所への慰問公演や被災地支援など多岐にわたる社会貢献活動を行っていました。
2023年12月30日、残念ながら急速進行性間質性肺炎により73歳で亡くなりました。
彼女は2024年2月7日に熊本県民栄誉賞と八代市名誉市民証を授与されることが発表されるなど、その功績は今なお多くの人々に賞賛され感動を与えています。
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