狙いうち / 山本リンダ

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曲の紹介(狙いうち)

【曲 名】狙いうち
【アーティスト】山本リンダ
【作詞】阿久悠
【作曲】都倉俊一
【レーベル】キャニオン・レコード
【概要】

1973年にリリースされたシングルで、前年にリリースした「どうにもとまらない」に続く大ヒットとなった。またこの曲で、山本リンダは1973年の第24回NHK紅白歌合戦に出場した。

【記事引用元】狙いうち- Wikipedia
【記事引用元】山本リンダ- Wikipedia

曲について

作詞家の阿久悠は、曲の冒頭部分は「ラララ ラララ」としていましたが、よりインパクトを強くするために「ウララ ウララ」と変えました。このフレーズは聴く人に強い印象を与え、振り付けと相まって大ヒットとなりました。

歌詞は女性の自信や魅力をテーマにしており、「この世は私のためにある」というフレーズからは、女性の毅然として積極的な姿勢が感じられます。また、「弓をきりきり心臓めがけ 逃がさないパッと狙いうち」という表現は、恋愛における積極性や狙いを定めた行動を象徴しています。

この曲は、特に、明治大学応援団がこの曲を「チャンステーマ」として使用したことから、スポーツイベントでも広く知られるようになりました。中日ドラゴンズなどのプロ野球チームでも応援歌として使われており、その影響力は今も続いています。

「狙いうち」は、単なるポップソング以上の文化的な意味を持ち、日本の音楽シーンにおいて重要な位置を占めています。特に女性の自立や強さを表現した点で、多くのリスナーに共感を呼び起こし、時代を超えて愛される楽曲となっています。近年では、新しいアーティストによるカバーも行われており、その影響力は衰えることなく続いています。

曲の動画

以下の動画をアップしています
  • 山本リンダ – 狙いうち (Official Audio)
  • 狙いうち 山本リンダ&東京力車(リンダ・レッドフィールド)
  • 【メドレー】狙いうち〜どうにもとまらない 山本リンダ(リンダ・レッドフィールド)
狙いうち 山本リンダ&東京力車
【メドレー】狙いうち〜どうにもとまらない 山本リンダ

アーティストの紹介(山本リンダ)

【アーティスト】山本リンダ
【出生名】山本あつ子(婚姻後:稲葉あつ子)
【誕生日】1951年3月4日
【出身地】福岡県小倉氏(現・北九州市)
【公式サイト】山本リンダ:オフィシャル・ホームページ

アーティストの軌跡

山本リンダは、アメリカ人の父親と日本人の母親を持つハーフで、父親はアメリカ軍人で彼女が1歳の時に朝鮮戦争で戦死した。その後、母親一人で育てられ貧しい生活を送った。
彼女が5歳の時に横浜市に移住したが、ハーフということで学校でいじめを受けたり周りから白い目で見られた。

1962年 雑誌「装苑」のモデルオーデションを受け、その後人気モデルとして活躍した。

1966年 デビューシングル「こまっちゃうナ」をリリースし、大ヒットを記録した。この曲は彼女を国民的アイドルに押し上げた。

1967年「こまっちゃうナ」でNHK紅白歌合戦に初出場し、可愛い子ちゃん歌手として知られるようになる。

1971年 キャニオンレコードに移籍し、同年7月から12月まで『仮面ライダー』に出演し、彼女の知名度はさらに上がった。

1972年 シングル「どうにもとまらない」をリリースし、大ヒットを記録した。

1973年「狙いうち」が大ヒットし、アクション歌謡の先駆けとして注目された。

1980年代後半 米米CLUBが山本リンダの楽曲をカバーし、再び注目を集めた。彼女はこの時期も精力的に活動を続けた。

1991年 NHK紅白歌合戦に久々に出場し、再ブレイクを果たした。この頃から若い世代にも支持されるようになる。

2001年 常葉大学教授と結婚し、私生活でも新たなスタートを切った。

2005年 アサヒ飲料のCMに起用され、代表曲「どうにもとまらない」の新バージョンも発表した。

2022年 キャリア50周年を迎え、新たな音楽活動やファッションブランド「LA LINDA」を立ち上げるなど、多方面で活躍している。

彼女は、その独特なパフォーマンスや魅力的な楽曲で多くの人々に愛され続けており、彼女の音楽は世代を超えて親しまれ、今でも現役で活躍している姿は、多くのファンに元気と励みを与えている。

アルバムの紹介

1972年 どうにもとまらない

2005年 ゴールデンベスト

created by Rinker
徳間ジャパン

2008年 山本リンダ ベスト ベスト

2012年 ザ・プレミアムベスト 山本リンダ

2022年 全曲集〜明日への翼〜

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